引用 抜粋 http://wadohosyoukai.com/wadokaichin/name/
最も基本的な事実から確認しておこう。武蔵国秩父郡で銅鉱石が発見されて朝廷に献上された。露天掘りによる純度の高い自然銅であった。当時の言葉では、「熟している」とか「やわらかい」ことを「ニキ」(時代が下がると「ニギ」となる)と言って「和」の字を当てた。そこで、熟していて柔らかく割合簡単に鋳造できる銅なので「和銅」と呼んだ。その頃、日本の国で一番欲しいものの一つであった和銅が出たことは大変おめでたいことだと喜んだ朝廷が、和銅にちなんで改めた年号なので、「和銅元年」となったのである。
記念に発行されたとされるお金は、年号と違って「和同開珎」と名づけられた。この「和同」という貨幣の名前(銭文)が、実は「チン」か「ホウ」かの読み方と大きく関わってくるのである。和銅が献上され、和銅と改元された年に造られたお金だから、「銅」の字を略して「同」にし、当時広く使われていた唐のお金の「開元通寳」にならって、「寳」の一部から採って略字の「珎」にして「和同開珎」という名前にした。寳の略字であるから「珎」は当然「ホウ」と発音し、「ワドウカイホウ」だというのが江戸末期から明治にかけて普通の読み方となって長く続いてきていたのである。然し、今は「カイチン」が大勢となっているが、そのことの解明の前に考えねばならない大事な問題が二つある。一つは、銭文と年号の関係、もう一つは漢字と略字の問題である。
現物としての銭貨「和同開珎」は、日本以外にまで及んで各地から多量に発掘、発見されている。その科学的研究の結果、質量分析などという方法によって、「和同開珎」は間違いなく和銅の時代に日本で鋳造されたことが証明されている。然し、読み方(発音)や銭文の意味や由来になると、書き残されたものの分析や、周辺の諸事実を総合した多くの研究によるより他に確かめようはない。そこで、古今の学者、研究者の研究成果をもとにしてカイチン説とカイホウ説の大まかな言い分を考察してみることにする。
当時の残された資料の中で、年号に「和同」を使ったものは一つもないこと、又、珍を珎とした事例が多くあることなどから見て、さらには漢字そのものの[ 寶→寳→宝 ]、[ 珍→珎 ]の流れから見て、カイチン説が定説になりつつあることは事実である。NHKはじめ、最新の歴史書、歴史辞典等の出版物は殆ど例外なくすべてカイチンで通している。学校の歴史の教科書を見ても、中学校ではカイチンと仮名をふり( )でホウと付け加える「カイチン(ホウ)」型であり、高等学校でも7種の中、カイチン(ホウ)型が5、カイチン、カイホウ型各1となっていて、学校教育の中でも大方はカイチンに統一する方向である。